コラム

音・聴・感 探求ゼミ通信VOL3.

2016年11月16日水曜日 表現教育家 岩橋由莉

(一部抜粋)『 音・聴・感 探求ゼミ通信VOL3. 』
ファシリテーター:いわはしゆり

岩橋由莉さんは、毎月プレイバック・シアター研究所の中目黒サロンで「音・聴・感探求ゼミ」を実施しています。

『 表現教育を学ぶ上で私が大切に考えていることの一つに、身体的理解、感覚理解を養う活動があります。
現代においては、物事を理解する時、正しい知識や情報を獲得することが不可欠なのですが、
毎日圧倒的な数で流れてくる情報、そのすべてを精査することは不可能です。
かといって、安全性を考えるあまり無難な情報だけを拾っていてもつまらない。
選別方法として皆さんはどんな方法をとっているのでしょうか?
私はいい、悪いの判断なく視覚や聴覚で身体に通していくと、直感が働いて拾うものがあります。
直観とはそれがなぜ働くかの理由が述べられないものです。
何故これをいいと思ったのかをはっきりとは言えない、けれどこっちの方向に進みたいのだと思う、
そんなことを直感を働かせるといっています。
直感は論理的ではないので、間違ったり何の意味もなさないこともしばしばあります。
直感通りにしてうまくいく方はたくさんいらっしゃるでしょうが、
私は直感が働いてもうまくいかなかったり、むしろものすごくめんどくさいことになったりすることがしばしばおこります。
私の中では合理性とは無縁な活動です。
それでも、それに従うことにしています。
この瞬間は意味もない事でも、その場の何かが必要だったかもしれないと思うから。

考えてみると、これは情報の獲得のことだけではなく、
何か自分の意思とは違うものに運ばれることを確信した時から、
セルフコントロールするある側面を手放してしまった自覚が私にはあります。
別の言葉でいうと自分の中の身体的理解、感覚理解というものを養ってきた実感がある、
と言えるのかもしれません。
脳科学の本を読んでいると、直感を司る脳の部位とは、
お箸を使ったり自転車に乗れるような繰り返し訓練したために
考えずとも駆使できる部分と同じところにあるのだそうです。
プロの棋士が毎日繰り返し手を考えることで、考えるより先に手が動いてしまうその瞬間の手は、
直感が働いているのだそうです。
一般的な知識や情報は普遍性があり多くの人と共有できるでしょう。
けれども自分の肉体を通したわたしにしか実感できない感覚というものもあると思います。

音聴感探求ゼミでは、参加者の皆さんお一人お一人がその言葉ではうまく言い表せられない
ご自身の存在を体感できる場を作っていきたいなと思っています。』  岩橋由莉

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