コラム メメント・モリ- 死を記憶せよ

メメント・モリ 死を記憶せよ

 

新年早々のコラムを「メメント・モリ」から始めようと思います。今年のA.B.E.研究会(Arts Based Educations)ではテーマのひとつとして「企業メメントモリ」を扱います。この言葉は私たちがつくった造語ですが「組織で働く終わりを明らかにせよ」という意味です。組織で働く以上かならず退職がきます。終わりを明らかにすることによって、今の生き方・働き方がはっきりとしてきます。逆を返すと終わりから目を背けることによって、今の自分がおろそかになります。

 

企業の人材育成にたずさわり、いろいろな組織とお付き合いをするなかでこのところ実感するのは、経営トップが自らの進退から目を背けることにより、組織そのものに大きな損失を与えていることが目あまることです。経営トップのみならず我々50代以上の者が組織に与えている影響、はばかりなく言わせてもらえば老害と言えることが組織や社会にはびこっていいます。

 

自分たち自身の終わりを見つめることにこれまで日本の社会、企業は目を背けてきました。2050年になると、日本の人口は約9700万人に減少し、全国の6割以上の地域で人口が2010年時点の半分以下になるという報告を日本政府はだしています。多分政府が出しているよりももっと早くその時代はくるでしょう。

 

これまで拡大することでのみ企業はビジョンを描いてきました。が、これからは衰退(推戴?)することを直視することでビジョンを描くことができる時代を迎えています。自分たちの終わりを明らかにすることで、次の世代に何かを残すことができるのです。我々社会は企業は終わりを直視することができるのでしょうか。それともそこから目を背けて破滅につき進んでいくのでしょうか。

 

私はこの会社を僕がいなくなった後に誰かに引き継いてもらい発展させるのか、それとも僕がいなくなったら閉じるのかを真剣に考える年となりました。僕のプレイバック・シアターや研修、経営を誰かが引き継いてくれるのなら、これほど幸せなことはないのですが、こればかりは後を継いでくれる人たち次第です。

経営トップの方々に問う。自分はどういうリタイアを考えているでしょう。自分がいなくなった後にどのような組織になるかを想い描いてリーダーシップを発揮しているでしょうか。企業の第一義の意義が存続することとするならば、トップは自らが退いた後の展望を示さないといけません。

 

一方で、僕の友人たちのアーティストはあくまで自分が創りだしたいものを後先考えずに生涯を通して生みだしています。アーティストとはそのような存在なのです。終わる時まで花火のように光り輝き続けるのがアーティストです。アーティストのように輝き続けることを組織はできるのか。

経営とアートの融合。これを今年は問い続けていこうと思います。

 

 

羽地朝和